★目に映るものの量が多すぎるんだよ。【vol.50】

記念すべき50回目のニュースレター!いつも読んでくれて、ありがとうございます!
近藤あゆみ 2026.09.01
読者限定

以前Xで巻き起こった「清潔感」についての議論の中で、ある方がこんなことを言っていた。

「視覚情報を減らし、自然にはない状態まで整えると生まれるのが清潔感。実際きれいにしていること(例えば風呂に入り身体を洗う)は清潔で、よく手入れしている(例えば髪や髭を整える)と見た目で分かることが清潔感」

この「実際の清潔と清潔感は違う」という説はなるほどと頷きながら読んだけど、私がハッとなったのは「視覚情報を減らす」というワードの方だった。
元の話題とは関係なく、このワードは現代人にとって(というか私にとって)すごく大事かもしれん…と感じて以来、色々な場面で思い出してる。

あれもこれもと焦ったり、そのわりに1日大したことができてなかったり、人と比べて自分は…と凹んだり、息が詰まるような気持ちになる時って、おそらく「視覚情報多すぎ」状態に陥ってることが多いのだと思う。

清潔感の話題で出てきた視覚情報は「人から見た自分」だけど、こっちは「自分から見た、目の前や周りの景色」のはなし。

どんなに楽しいことでも、目の前にあまりにたくさんモノ(や情報)が並んでいると、ちょっと疲れてしまう。
あっ、これもよさそう!あれも行きたい!これいま決めなきゃだよなー。こっちとそっちどれにしよう?

まあとにかく気が散るよね。
楽しいことですらそれだから、楽しくないことだともう大変。

「優先順位がある」「これは今の自分と関係がない」というのは分かってはいても、見ちゃったものは頭に入ってくる。その欠片は自分に絡みついていく。

嫌になって現実逃避でSNSを眺めたとしても、それこそが絶え間なく飛び込んで来続ける視覚情報の波。感情はいちいちこまごま動く。

のんびり配信でも観るか…と思っても、そこにはおびただしい数のレコメンド。
ああ、視覚情報多すぎ。

だから無理やり減らさないとなんだな。
「考えることを手放す」というより、物理的に目にうつるものを減らす。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、1151文字あります。

すでに登録された方はこちら

読者限定
★治らん謎の体調不良、まさかの原因。【vol.49】
誰でも
★誰かを覚えておくこと〜まつりとひつじ【vol.48】
誰でも
★自分の「キャラ化」。【vol.47】
誰でも
★文フリの気づきと、通販開始。【vol.46】
誰でも
★おしながきとものすごい配置図。【vol.45】
誰でも
★ペンラを振る日々。【vol.44】
誰でも
★さて、投票後の私たちは。【vol.43】
誰でも
★投票前にどうしても。【vol.42】