★「私は私」って結局どうすりゃいいの。【vol.41】
あっ、シンクロ
尹雄大さんの「句点。に気をつけろ」という本がとてもよかったのです。
句点というのはもちろん「。」のこと。
「その言い切り方を疑わなくていいのか」「そこで断定してしまっていいのだろうか」ということですね。
うまく言葉にできないこと、口ごもってしまうこと、まとまらないことの方に目を向けようという内容で、ハッとすることばかりでした。
後半、自己肯定や自己否定の話になるんですが、そこがちょうど前回の「私という属性には私しかいないので。【vol.40】」で書いたことにリンクしていって、ひとりで「おおーー」となりました。そうそう、その感覚!そういうことが言いたかった!みたいな。
それは「プライド」という抽象的なものじゃなくて、ここに自分がいて、生きているということに懸けるエネルギーがあるということなんだと思う。
相手あっての自分ではなく、まず自分から始めるという能動性が大事だと分かってくる。
自らを信じることに根拠はいらない。もし根拠があるとしたら、自分が自分でいることだけだ。
なんで自分を信用できないんだ、なんで必死に物差しを他に探してわざわざ測っては落ち込むんだ。世代や所属コミュニティの平均値に寄せてく必要も、世間様の許可をとる必要もないじゃん。「できない」をすべて「できる」に変えねばならないってこともないじゃん。
…そんな思いで書いた【vol.40】ですが、それをもっと静謐に、哲学的なようでいて実際的に言及している本が「句点。に気をつけろ」だと思います。
自分とは「からだ」だ
さらに終わりの方で尹さんはすごく大事なことを言ってるんですね。
「自分が自分でいる」というのは思想や精神の話ではなく、身体のことだと思う。
原点の自立は「自ら(の足で)立つ」という体験と体感あってのことなのだから、地に足つけるという原初的な感覚から考えた方がいいんじゃないか。
自立というのは自分に「集注」することでもたらされる。集注とは、身体への注目であり、感覚で把握することだ。
つまり「意識」よりまず文字通りの「からだ」こそ自分自身であり、自分の身体で立ち、自分の身体で(身体を)把握することが大事なのでは、と。これも「うおー」って思いましたね。なんか分かる!と。
私がエックスでフォローしているfukaさん( @fuka_physis )という方がいます。整体師&古武道師範であるfukaさんはボディワークの教室もされているのですが、その方のポストにもちょうど同じようなことが書かれていたんですよ。
「私は私」という感覚が弱くなると、世の中の情報や他人の言動に振り回され、自分軸を見失ってしまいます。 優柔不断になり、決断できず、自信をなくす悪循環。
実はこの「私は私」という感覚は、頭ではなく「身体感覚」に紐づくものです。
「『私は私』という自己所有感を、身体感覚から強くする」。やはり頭よりまず身体なんだ。
・いつも反射的にスマホをチェックしてしまう
・常に何かに追われているような焦燥感がある
もしそう感じるなら、それはドーパミン的な強い刺激に依存しているからかもしれません。
こちらのポストもそう。
意識(頭)はすぐいろんなものに振り回されがちですもんね。浮遊感が強いというか、自由自在すぎるというか。fukaさんの「身体の実在感が希薄になってしまっている」という言葉、とても頷けます。(fukaさんのアカウント、気づきが多いのでとてもおすすめです)
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