★大事なことは、たいてい風呂場で。【vol.24】
お風呂場で髪や体を洗っているときは意識も視覚も固定されておらずふわふわと漂っているため、アイデアや言葉がわきやすい。
それと同時に、人生の真実みたいなものにも気づきやすかったりする。あくまで私個人の人生の小さな気づきなのでお恥ずかしいですが。
自分とのあいだに空間をつくる
昔から「石けん理論」と名づけた気づきを持っている。理論というほどのもんじゃないけど、気付いた時にはハッとしたのをよく覚えてる。
私は固形石けんで体を洗うので、なるべくいい感じに泡立てようと手の中でくるくる転がしてた時に気づいた。石けんと手の間に隙間がないと、泡はうまく立たない。石けんと手をこすり合わせるようにすると、まばらでぺったりした泡しかできないのだ。
でも手のひらで横回転させるように回すと、空気が含まれて泡が立つ。もっと言うと、石けんとおのれの手指との距離をなるべく離し、ほんの少ししか触れないよう、両手で弄ぶようにコロコロくるくると遊ばせると、さらにふんわりと泡立つのだ。
だから何だって感じだが、これって人間関係にもあてはまるんじゃないか…?と思ったのだ。
石けんは大事な人、好きな人。または大事にしたいことや思い、本当にやりたいこと、などに例えてみる。
自分との間に、ふっくらいい泡が立つ(よいコミュニケーションが取れる、盛り上がる、良さや魅力が発揮される、それ自体を活かせる)ようにと意気込んで両手でゴシゴシやると、いい泡は立たない。石けんはぜんぜん活躍してくれない。
逆に、自分と密着させず抱え込まず、敢えて少しの距離をとってくるくると自由に動かしてみると、いい泡が立つ。石けん自体がいきいきするのだ。(ちょっと大げさだけど)
大事だから、好きだからとギュッと抱え込んだり、焦って強く動かしてみたりすると、おんなじもの(ひと)でも、発してくれるものが全然変わってくるんだな!と思った。
空間、余白、距離感。そういうのがきっと、想像以上に必要なのだ。
表面より、裏っかわの溜まりを流す
お風呂場の排水口(洗い場のほう)には、流れてきた髪の毛やごみをせき止められるように、少し高くしてある網のようなものがはめられている。
そこに溜まったものはマメに取り除いてるはずなのだが、ある時から髪の毛が全部排水口に流れ落ちるようになってしまった。
カビキラーで表面をすっかりキレイにしても改善されない。おっかしいな…と思って取り外し、ひっくり返してギエッとなった。
表はキレイにしていたのに、裏っかわはヘドロみたいな汚れがべったりくっついていた。表からはそれが全然見えなかったのだ。格子状の構造だから風通しよく見えたのだけど、うかつだった。
あわててキレイにしたら再び髪の毛はしっかりキャッチされ、排水口に流れ込まないようになった。
これもまた、人間みたいだな〜と思った。
表面だけ、目に見えるとこだけをキレイにして取り繕ってもだめなのだ。それだと解決していないのだ。裏っかわを避けずにちゃんと見て、そこに何かヘドロのようなものが溜まっていたのなら、思い切ってそれもゴシゴシ洗い落として、すっきりさせないと。
それができたら。一見これまでと同じ自分のはずなのに、表面は変わっていないはずなのに、動きは軽やかになる。「うまくできた!スムーズにいった!」「自分、悪くないじゃん」みたいな展開になるかもしれないのだ。
サイドから、円を描く流れで
ついでに言うと、排水口の水が流れ込むシステムに毎回感心している。上を覆うふたをはずすと、水は横から円周をまわるように流れ込むよう誘導されているからだ。
ふたをはめ忘れたままシャワーを使うと、流れ落ちる水はまっすぐ落下。排水口を直撃する。直線の落下には勢いがあるので、その勢いで髪の毛なども排水口に流れ込んでしまう。
でもふたをすると、流れた水は横からしか流れ込まない。そこから勢いよく流れ込んでも、ぐるりと遠回りするうちにゆるやかになり、髪の毛などは網にキャッチされる。
うまくできているなー。
流れ方の違いを発見した時、「プラスなものもマイナスなものも、感情は直線で誰かに届くと勢いがあって強すぎる。脅かさないように、サイドからくるりとゆるやかな円を描いて届くようにすると受け止めやすく伝わりやすくのかもしれない」なんて思ったりした。
お風呂場は、気づきが多いよほんと。
ではまた!
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