★てがき・きろく、そのわけ。【vol.28】

確定申告終わった同志のみなさん、おつかれさまでした。
近藤あゆみ 2025.03.19
誰でも

先週、やっと確定申告提出しましたッ!
去年の確定申告後、「今年こそは」と経費と領収書をきちんと記録・貼付。しかしやる気は3ヶ月以上続かず、結局今年も締め切り月になって連日作業するはめに(恒例行事)。

ご存知の方もいると思いますが、2025年にもなって私の確定申告はオール紙・オール手書きです。ペンとはさみとのり、そして電卓が必需品。あまりにオールドスクール。

確定申告初年度に手書きで覚えてしまったので、e-taxが始まった時にイチから入力のしかたを覚えるのが面倒だったというのもあり、ついそのまま手書きを続けてしまいました。
1つ1つ数字を書き、それをいちいち電卓に打ち込んでると「…この手間は一体なに?」と思うこともしばしば。数字さえ打ち込めば後はe-taxが何とかしてくれる時代に、なぜ算盤の玉はじくみたいなことをしてるんだ。

あのね、確定申告歴15年の途中で気づいちゃったんですよ。
「どう考えても、好きでやってるな」と。

手作業の楽しさ

まずひとつには、紙とはさみとのりとペンでする手作業がどうにもこうにも好き、というがあります。

私の確定申告作業は、領収書貼付以外も、とにかく切り貼りが多い。
ずぼらなくせになぜかこういうことだけはマメで、実際の書類作業の前に「来年の自分への指示書」みたいなものを丁寧に作成したりします。送られてきた「手引書」から必要部分を切り取って紙に貼り、注意書きを添えてファイルにおさめる。すべてのものはコピーを取って下書きをする。

そのモチベーションはどこから来てるのかというと「手を動かして紙を切り貼りし、文字を書くという作業を毎日続ける」ことが正直楽しいんですよね。できた分が物理でどんどん積み重なるのも達成感があってうれしい。

あと「ちょきちょき。ぺたぺた。かきかき」とオノマトペで表現できるような繰り返しには、とにかくリアルな「感触」がある。それがいい。

私はスナック菓子を食べていてやめられなくなることがあるんですが、それは「歯でパリパリ噛んでる感触が楽しくて止まらない」からだと最近気づきました。むしろその感触さえ楽しめれば腹にいれなくていいんじゃねえの…?とすら思うんですが、何だかその嗜好と似てる気がします。

ライフログとしての楽しさ

もうひとつは、自分の生活のログをとるというのが好き、という側面。

経費を記録する時は紙の領収書だけでなく、PC、スマホ、手帳をぜんぶ開いて購入履歴や予定をたどります。そうして去年一年の買い物、サブスク、参加したライブ、イベント、医療。いったんすべてを記録する。

結局、経費として認められるものだけを計上するので、この工程はすごく手間がかかるくせに完全にムダなんだけど、この「辿り」こそが大変な充実感を生んでます。

「この月はこれにハマッてたんだな」「あれってこの月に買ったんだ」「そういえばここに行った!」など、色々思い出せる。自分の一年間をここまで細かく振り返る機会、ないじゃないですか。

実際、作業中は「めんどくせー!!」とか思ってますよ?それでも十数年このやり方を続けてるというのは、心底イヤではないんだろうな、私。

第一、面倒くさくてもこれさえやれば、多少なりともギャラ(※還付金です)もらえるんだし…!

記録は存在の輪郭

私はほ手帳に写真や半券などを貼り、その日の記録(何時に何した)をつけてるのですが、それができなくて空白のページが溜まっていくと、ものすごーくモヤモヤします。何日もお通じがない時のような、ずっと頭の片隅に課題を残したままのような気分です。

結局、自分を記録し続けることを大事に思ってる人間なんだろうな。SNSやブログもやるけど、それは当然「誰かが読む」ことが前提で、そうすると「ちゃんと書かなきゃ」「この内容じゃだめだ」という思いが生まれて筆が滞ったりする。(このニュースレターもな!)

そこに至る前の、自分しか読まない日々の記録を積み重ねていくことが基本軸みたいになってるのかもしれない。「それこそが私という人間が生きていた証…むしろこれがないと証がない!」くらいに感じてるふしがあります。

うちの夫は記録を残すことに一切頓着しないタイプで、思い出の写真やモノもばんばん捨てちゃう人。いっぽう私は、災害で真っ先に持ち出したいのは昔の日記や手帳や写真、というタイプ。

ゆえに常日頃から「もし私が突然死んでも、私が書いたものは勝手に捨てないでくれ。あなただとどれを残すか判別できないだろうから、うちの母か弟にやらせて」と頼んでる。

年齢的にその役割を担う可能性が高いのは弟なので、そのことを伝えたら「いいよ、分かった」と言ったあと「でもさあ、それ残してどうするつもり…?」と聞かれてハッとなりました。

確かにそうだわ。偉人でも文豪でもない一般人の、完全なる個人日記や記録に価値はない。人に見せる前提で書いてないし、たとえ肉親であっても、誰かが楽しく眺める可能性もないだろう。じゃあ自分亡きあと、何のために残そうとしてんの…??

そう考えたらおかしくなっちゃった。

何も華々しい実績を残していないのに、私は私がこうやって生きて暮らしてたということを、物理的なかたちとして残したいんだな。肉体無きあとも、紙で。

子がいないということもあり「血をつないでいく」みたいなものが私にはない。だからってわけじゃないけど、「こう暮らした、こう生きた」という経緯をささやかでいいから現世に残しておきたい。そんないじましい思いかもなーと自分で思いました。

ではまた!

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