好きと嫌いの渡し方。【vol.15】
最初におわびしておきます。今回のは何だかうまくまとまらない話です。でもまとめようとしても配信遅くなるし(笑)むりやり結論めいたものを書いても嘘くさいし、なのでそのまま出しちゃいます。すいません!
どんなに同意でも中身は違う
「これが好き」「これが嫌い」はそれぞれの人にあって、その好き嫌いが誰かと合致したとしても、かたちや中身は意外と違ってるな、と最近思います。
さらにその表出のしかたも個々人の好みがある。
「好きだーーーッ!」と声を大にして世間に叫びたい人、好きな部分を細かに綴りたい人、すぐ誰かと共有したい人、自分ひとりで噛み締めたい人、思いはあれどうまく言葉にはできない人。嫌いの場合もしかり。
最初は誰かと「同じ気持ちだ!」「完全に解釈一致!」とか思っても実は内訳はかなり違う。よくよく掘ったら「そこまでは思ってない」「あなたの方向性とはちと違うんだが」みたいにね。
同好の士と「好き」や「嫌い」を語り合うのはそれはそれは楽しいことです。でもそれぞれの「好きや嫌いのかたち」をうまく汲み合うのはなにげに難しい。何というか、お互いにゆとりを持たないと、それぞれのボールがうまく宙に出せないし受け止められない。表現方法もスピードも違うものをポーンポーンとやりとりするには、余白や空間を広く取らないとうまくいかない。
「好きなもの」「嫌いなもの」を人と語るとき、自分の表現だけでその場を塗りつぶさないようにしたい。私のように、思うそばから言葉にしちゃうタイプはそれがなかなか難しいのだけど。
思ったことがうまく形を結ばない人がいても、先走ってすくいとったり、代わりに言葉にしたり、黙ってるのをいいことに「こうでしょ?」ってくくったりしないようにしたい。あと「何もねーのかよ」とスルーして軽んじてもだめだなと。
ブルドーザーみたいにガーッとならして整備しちゃうのは、乱暴なことだよなと近頃よく思います。反省とともに。
じんわりした「ご一緒に」
あと、「一緒に嫌おう」「一緒に好きになろう」の勢いが見えてしまうと、私はどうにも逃げ出したくなるんですよ。
あ、これは声かけやお誘いをするなとかそういう話じゃ全然ないですよ。そういうインビテーションはきちんとした意思表示だし招待だからいいのです。
また「私はこれが嫌い、怒っている」と表明することや、デモや抗議などの社会運動のことでもありません。これもまた、はっきりとした意思表示です。
抽象的すぎてうまく言えないけど「感情を同じくしてほしいがためにじわじわ何かを繰り返してる」みたいなのを見るのが嫌なのです。
直接何かが来るわけじゃないけど、その人が繰り返し発するサインから「どうにかして良さを(またはイヤさを)分かってもらいたい」という圧を感じることってあるじゃないですか。
心地よく惹きつけられる熱ならいい。でもそうじゃなくて、圧みたいに感じてしまうもの。それを感じるとスーッて引いてしまう。
SNSに例えるなら、自分の意見や感想ははっきり言わないのにリツイートだけを怒涛のようにする、みたいなイメージかな。「いろんな人がこう言ってるぞ!どうだ!(でも私からは言わんけど)」みたいな。
とはいえ私自身も好き嫌いに関しての熱量が強いタイプなので、他人に対してそういうのやってないかっていうと自信がない。むしろやってたかもしれない。
難しいね、やっぱりまとまらない。
色々うだうだ考えてると、人と人の間には、敢えて言葉を置かない方がよい場合もあるなって思ったりしました。それこそまさに、余白ってことかもしれないな。
ではまた!
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