あの頃と出会い直したら、面白かった。【vol.13】
先日、大学時代の仲間たちと飲み会をした。
私はミュージカル研究会(通称: M研)というサークルに所属していた。これは「観る会」じゃなく「演る会」で、ひたすら自分たちで脚本書いて舞台作って公演する4年間。実際にはミュージカルというより「芝居とダンスたまに歌」って感じだけど、そのために大学通ってたといっても過言ではないくらい熱中してた。(就職してからも有志で不定期に公演してたよ)
私の代にマメな男がいて、彼が毎年きちんとセッティングしてくれるおかげで今でも年に数回は10人近くで集まってるんだけど、今回はめったに来ないメンバーの自宅で少人数で飲むという意味で、とても珍しい会だった。
会社員、ダンサー、大学教授、俳優、そしてフリーランスの何やってるかよくわからない女(おれ)。職業はさまざまだけど集まればあっという間にあの頃の関係性に戻るのはいつも通り。
いつもと違う鑑賞タイム
会の恒例として「当時の公演ビデオを流しながら飲む」というのがある。これまたマメなメンバーがVHSテープをデータ化してくれてるので、公演から練習風景からサークル合宿に至るまで流す映像は豊富で、そのたびに皆で過去の自分に悶絶するとこまでがお約束。いい酒の肴なんだよね。
今回もいつものように持ち寄ったものを流して「やめろ!それ流すな!」「うっわー歌がひどい」「何このシーンwww」「誰がホン書いたんだよ」とか言いながらお腹が痛くなるほど笑い、思い出を語りあってたんだけど、夜が更けるにつれいつもと少し違う感覚がおとずれたのであった。
いつもの集まりは人数が多く会話もあちこちに散るし、映像を流してても集中して観てはいないけど、今回は少人数だったので全員が画面に集中してたのが大きな違いかもしれない。若さとアホさを笑いながらも、全員が感じ始めたことがある。
当時の自分たちがひたすら眩しかった。
「めちゃくちゃ頑張ってる」「いいもの色々作ってる」って素直に敬服した。
「なんかみんな…動けてるよね」
「俺、よくやったなこれ…」
「お前のこの技、すごいね」
ぽつりぽつりと褒め合いながら酒を飲む50overのおれたち。はたから見るとただのおじおば昔語りです。でも、郷愁がありながらも決して「あの頃はよかった」的なとこには着地しなかった。そこに至るほどまだ全員が枯れてないというのはあるし、私自身はいくつか気づいたことがある。
何だ、意外といけるかも
①SNSはおろかインターネットもなかった時代、私たち何でも自分たちで作るしかなくて、遊びやら何やら色んなものをせっせと生み出してた。クオリティは高くないかもだけど、とにかくあまり何かと比較することなく「自作」し続けてた。
②今よりもう少し若い頃は、大学生の頃の自分がイタくてダサく感じて笑うことしかできなかったけど、年寄りになった今みると、身体も驚くほど動くしダンスも芝居もきっちり練習して、とにかく堂々とやってる。イタいことでも何でも、堂々とやってる。
↓
結果、「何だ、できるじゃんおれたち」「何だ、かっこつけずに好きなものを堂々と発信すりゃいいんだ」という謎の自己肯定感と気力がわいてきたのだ。単純。
今の自分の背中を押すのは、あの頃の自分だ。
ディレクターに見せたら「ありがち」ってバッテンされそうな、へったくそなコピーが脳内にずっと浮かんでた。
その場にいた全員が同じ気持ちだったかどうかは分からないけど、卒業してから何十回も集まってきて初めて「また何かやりたくない?」「いいねえ」って言葉が出てきたので、ある程度共通した感覚はあったんだと思う。実現するかは別としても「やろうと思えば今だってすぐできるんだ!」みたいな気持ちになったのは、初めてかもしれない。
おそらく年齢的なこともかなり影響してる。みんな50を過ぎて、はすに構えたり、過去を振り返ることがカッコ悪いと思うこともなくなった。子の親になったりして、昔よりずっと柔和になった。何より「自分も周りもいつ死ぬか分からない」という実感が強くなってる。「終わり」を意識し始めたからこそ、湧く意欲というのがあるのだよ。
結局別れがたくてその日は朝まで飲んでしまった(50過ぎてのそれは本当にしんどい)。
繰り返しから、ちょっと抜け出す
後日、久しぶりに「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」を観返した。
大好きな作品なのだけど、めちゃくちゃ面白いので未見の人はぜひ観てほしい。
この中の主人公の心境の変化や部長にまつわるあれこれが、こないだ飲み会で感じた気持ちと少しだけリンクする気がした。M研のみんなも好きなはず、と思った。
一見つまらなくくだらなく見えること。心残りがあるまま日々を繰り返すこと。繰り返す中で生まれること。しょーもなくてもいいから堂々と作ってみること。遅すぎることはないこと。何か動けば知らん間に仲間が後ろにいるということ。現実否定でも逃避でもなく、小さな変化はいつでも起こせる。
どうせ、誰に望まれてもいないし、期待されてもいない。カッコ悪さに開き直って何でもやってみりゃいい。
そう思えるという意味では、年をとるのも悪くないな、と思えたここ最近でした。
ではまた!
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