★味わう・つくる・ととのえる。【vol.20】

ねえ!9月!
近藤あゆみ 2024.09.04
誰でも

気づいたら8月にいちども配信してないじゃん。ほんとごめんなさい。
いや実は気づいててずーっと気になってた。でも8月はなぜか書く意欲がからっぽだった。こういうことって今まで起こらなかったので、あんまりいい傾向ではないなーと思いながら、ひとの書いたもの作ったものばかり眺めて感心したりしてました。

「ま、いっか」に呑み込まれる

「時間ができたらあれをやろうと思っていても、年をとると身体がきかなくなってできなくなる可能性があるので、今やれ」とよく言うじゃないですか。もちろんそういう体調の問題もあるんだけど、それだけじゃなくて、身体は元気でも「やる気」や「自己発信欲」みたいなものの方が早く衰えるのかもしれないです。

みんなに注目されたい、すごいと思われたい!の顕示欲じゃなくて、「私はここに生きているよ」と発すること。大小問わず、これも生命力の一環だと思うんですよね。
でも加齢とともに「まあ…私が今さら何か発しなくてもいっか」「別に私じゃなくてもいっか」みたいな気持ちがひたひた押し寄せてくる。いい意味でもわるい意味でも、諦めが早くなる。

世界はべつに自分1人がどうこうしてもしなくても変わず回ってるんだけどさ、諦めは、老いをムダに加速させるね。

なんか生産する方向へ

たまたま昨日「田舎に移住した人は遊びが消費から生産へと変わる」という内容のツイートを見ました。野菜や植物を育ててみたり、野山で何かを狩ったりと必ず「成果物」が生まれる遊びですね。一方、都会は労働と消費のための空間だと。
このツイートは田舎と都会の違いについてのお話だったけど、私はそこからちょっとズレて「自分の中で、消費と生産のバランスをとるのは大事かもな」ということを思いました。

消費を「人や自然やコンテンツから何かを受け取ること」という広い解釈でとらえた場合は、別に悪いことじゃないんですよね。消費に精力を傾けるのもまた立派な生きがい。推しにまつわる活動。好きなものを買う。美味しいお店でごはんを食べる。お出かけをする。映画や本や舞台などの作品を見る。成果物は出ないけど、気持ちをアゲたり、情緒を豊かにしたり、インプットや思い出が増えたりする。これはこれで大事。

でも生産も、同じくらいあるといいんだろうね。

文字通り「何かをつくる」ことだと解釈する。自分の手を動かして、何かをこしらえる。何かを育てる。それは残るものでも、料理のように消えてなくなるものでもいい。まるきり極私的でいい。とにかく「誰かに与えられるものでなく、自分が生み出すもの」。それはきっと、消費よりもなおくっきりと「わたし」の輪郭と土台を形づくるはず。そして水紋のように、世界に小さな小さな影響を与えるはず。

(ちなみに「生産」はあると楽しいけど「生産性」なんか全然なくていいと思う。ここでいう生産とは、意味や意義があるものじゃないので)

人生に関して言えばあとメンテナンスも必須だなあ。自分の身体を見て触って、手入れすること。

消費・生産・整備。

社会科の授業みたいな3ワードですが、どこか1つに偏り過ぎず(というか放っておくと消費に偏るので)、残り2つを増やせるように暮らしたいなーとあらためて思いました。

誰かのためや社会のためじゃないよ。
己の人生の傍観者にならないために、諦めなくていいものを諦めないために、やっていけたらいい。

ではまたね!今月はもっとたくさん書きます!

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