★都知事選のあとで。【vol.18】

暑さには負けてもいいけど、諦めさせおとなしくさせようという力に負けるのはやだね。
近藤あゆみ 2024.07.09
誰でも

都知事選の結果に心底「いやだーーーー!」となって、しょんぼりして、事前にぜんぜん報じなかったくせに終わってからずいぶん偏った「分析」らしきものを始めたテレビ局にうんざりしていましたが、みなさんはお元気でしょうか?

2位の石丸氏の受け答えには確かに驚いたけど、私はそれよりメディアの「蓮舫氏の敗因」についての語り口の意地悪さにゾッとしてるとこです。ああ彼らは最初から、ずけずけとものを言う(そして特に愛想を振りまかない)彼女のことが気に食わなかったんだな…と気づきました。

有権者については、誰が誰に票を投じようとそれが賢いとか愚かしいとかそんなジャッジはするべきじゃないし、負けた候補者の支持者がことさら反省する必要もないと思うのです。

正義も理由も、ひとの数だけある。

私は掲げている公約や街宣での訴えでを聞いて、これまで政治にスルーされ続けてきた人たち(ひとりで生きる人、結婚出産を選ばない人、ヘテロセクシャル以外の人、在日外国人、非正規雇用の人、貧困にあえぐ人など)に対してきっちり目を向けている蓮舫さんに投票しました。

なので結果を見てもちろん「なんであの人やあの人に投票したの!?人の暮らしはそれで良くなるんか??」とか思ってしまったけど、

人って結局、自分がいまどういうところに立っていて、どういう部分を注視したい(注視している)かによって全然変わってくる。それだけのことだと思いました。
「正しいサイド」「間違ったサイド」があるわけじゃない。

例えば私は若い頃、男性相手にがっつり怒ってる田嶋陽子さんを観て「ギスギスしたおばさんだな」としか思わなかったし、名誉男性枠でイキッてた頃は「女ってこれだからイヤ。男はさっぱりしていいな」とか思ってた。そしてきっぱり端的にものを言う男のことが好きだった。

ていうかそもそも、政治に興味なんかなかったです。お恥ずかしい話、投票なんて長らく行ってませんでしたよ。(その結果が今の日本なので、若い人々には大変申し訳ないと思ってます)

先に挙げた人々のことを気にし始めたのは、アラフィフになってからと言っても過言ではありません。おせえーーー。
自分が年をとり、親の介護や死も体験し、周りに子を持つ親となった友人たちが増えたことも大いに関係しています。そしてSNSで可視化された「子育てするお母さんたちの大変さ」をたくさん目の当たりにしたことも大きいかも。そういうことで、ずいぶんと人の見方が変わった。

もちろんこれはあくまで私個人の変化であり、「若い時分はものを知らない」という話などではありません。

ただ「その人の年齢やその時の環境によって、求めるものも大事だと思うものも許せないものも、見たい(または見たくない)部分も変わってくる」というだけ。

だからこれからも、みんなそれぞれが大事だと思うことを大事にしていけばいいし、それが少しでも重なる政治家を応援すればいいと思うのです。

今回、自分が好きなアーティストや作家、クリエイターなどの政治についての考えを知ることができたのもよかったし、たった一人で駅前に立つ「ひとり街宣」をやる人たちがたくさんいたことにもグッときました(それができなかった自分の勇気のなさ、格好つけぶりもよく分かった)。

以前よりずっとずっと、みんなが政治を注視し「何とかしなきゃ」と思うようになっている。だからこそ、政治のはなしを忌避せずに気安くしたい。みんなが「スン」より「はて?」と言い出せる空気になってほしい。

めげず腐らず諦めず、声をあげていきましょうぜ。

投票日前に描いた絵です。

投票日前に描いた絵です。

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