★若くない女たちよ。【vol.6】

若い男女も、若くない男たちも読んでくれたらいいかもよ。
近藤あゆみ 2024.01.25
誰でも

無料期間だけ利用するつもりで入ったU-NEXT。「入ったらあれもこれも観よう」と思ってたはずなのに、大型書店と同じでモノが膨大すぎると却って思考がパーッと散って何も思い出せないもんですね。

そんな中で見つけたのが懐かしのSATCこと「SEX AND THE CITY」ドラマシリーズ。確認したら本国で放映されたのは1998〜2004年。私が友人からDVDを借りて(当時は配信なんてなかったから…)6シーズン通して観たのは2008年でした。NYマンハッタンで4人の女性たちに巻き起こる恋愛模様が面白くて、女友達と酒飲みながら登場人物についてあーだこーだ言ってたなあ。

で、そのSATCの新章で2021〜2022年に放映された「AND JUST LIKE THAT...」(通称AJLT)もラインナップされてたので観始めました。
SATCではほとんどが白人男女の異性愛だったのが、二十数年経った新章では人種やジェンダー描写の多様さが際立ってました(本来はそれが当たり前だけど)。とはいえその描写については批判もあるようで、そこに関する私の学びの浅さも痛感しました。

SATCの時は主人公キャリーと3人の女友達の30〜40代が描かれていました。AJLTでは彼女たちも50代半ば。今回はそのことに焦点をあてた気づきや思いを書きます。

何だか「いないことにされてる」女たち

長年人気を博したシリーズで、主要メンバーのその後が観たい!というニーズが大きいとはいえ、そもそも50代の女たちが主役のドラマが作られること自体、日本に暮らす私から見るとすごいと思った。
女に関して若さ至上主義なこの国で、作品の主役たりえるのは主に若い女。いっそ老女になればまた(主役として取り上げられるための)存在感も出てくるけど、いわゆる「おばさん」でくくられるシニア手前の女たちは、とことん存在感が薄められてる。
誰かのお母さんだったり脇役だったりはするけど、中年男性と違って決して主役にはなり得ない。

AJLT自体、NYでマンハッタンで既婚も未婚もいるけど全員がバリキャリで富裕層…という設定だから決して等身大とかリアルとかじゃないけど、それでも共感する部分がたくさんあった。

ずっと色恋と流行の現役で時代のど真ん中だと思ってたのに、どうやら感覚が周りとはズレてて「古い」と思われてる衝撃。更年期や閉経のあれこれ。姑問題。成長する子供が自分の範疇を超えてしまうこと。大事な人の喪失。独りであることの焦り。キャリアと家庭の両立。夫とこの先これでいいの?などなど。
若い頃と違って対峙する問題がグッと重たくなり、しかも気軽に捨てることも割り切ることもできない。たくさんの重りをつけて歩きながらも根底に変わらずにある「私は私なのに!」という思い。

そういう「もがき」が、深刻ぶらず描かれていて、同世代として「あの頃は毎日恋愛を楽しんでた彼女たちもか…分かるよ!」とぶんぶん頷いた。
時にムチャな勢いでそれらを突破し、とにかく先に進んでく彼女たちを見てるとふつふつと言葉がわいてくる。

そうだよ、勝手に存在を薄めないでくれ。誰かを支える役やモブとして奥に引っ込めないでくれ。私たちはここにいる。自分でも先の読めない怒涛の日々を送ってる。皆が思うより生々しく、意欲的で、元気で、疲れてて、傷ついてて、欲望があって、いまだ迷ってるんだよ。

加齢の足跡は隠さなきゃダメなのか

そして彼女たちはきっちり年を取っている。二の腕は太くなりぶるんぶるんと揺れ、下半身にどっしり肉がついてスリムな服は厳しくなり、シワは増え、白髪になる。

現実では当たり前のことだけど、少なくとも我が国では雑誌やTVに登場する「主役たり得る女たち」(アイコンになり得るひと)はそれに徹底的に抵抗している。
実年齢より遥かに若く見えるように。二の腕も下半身も若い頃とほぼ変わらないように絞る。白髪は隠し、シミシワは徹底的になきものにする。

頑張った挙句そうなれて初めて「人前で胸を張っていい、自由にふるまっていい、評価されうる女」になるのだ。

目立たぬよう控えめにしてるならいいけど、年相応の見た目のまま自由にふるまうと途端に「みっともない」「イタイ」「年甲斐がない」と叩かれる。世間はおじさんにも厳しいが、好きに生きようとするおばさんにはもっと厳しいのである。

(まあ若くたって「若さをキープする努力、美しくなる努力をしないとダメ」「年老いたらおしまい」の呪いはかかってるよね)

謎の合格ラインを超えたとて自由ではない。調子に乗ってるとか色々言われるのだ

謎の合格ラインを超えたとて自由ではない。調子に乗ってるとか色々言われるのだ


AJLTに登場する女たちは確かにファッショナブルでキメキメだけど、加齢への厳しさは日本人に比べたらやさしい気がするし、それらを活かす格好をしている。
というか、そもそも「みっともないから隠す」という概念があまりないように見える。地味に目立たずナチュラルにという概念もない。50半ばでゴリゴリのセクシーやゴージャスで闊歩してる。太ましい二の腕も、シミのたくさんあるデコルテも、ばーんと出している。それがすげー格好よくて、観ていて元気がわいてくる。

こういう髪型や服はイタい。似合わない。自然がいい。加齢とともにその縛りと思い込みは強くなる。でもAJLTを見てるとそういう細かな呪いが全部バカバカしくなる。
もちろん彼女たちのようなハイブランドは買えない。でも派手な色や髪や露出だって、自分がしたけりゃすればいい。肌や体型のタイプにこだわらず、着ていて楽しい服、好きな色を身につければいい。大事なのは誰かの視線と評価をおどおど窺ったりせず、堂々と姿勢よく歩くこと。それだけだ!イエー!


AJLTドキュメンタリーで、ミランダ役のシンシア・ニクソンが言ってた。
「若くない女性の自分探しは時に悲壮感が漂う」
…ほんとにそうだよね。それでも私たちは歩いていくんだよ。お互いの肩を抱いて、勇気づけながら。そして、いまの自分を楽しみ、慈しみながら。

ではまた来週!

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