★それは本当に善?〜ドラマ鑑賞記【vol.8】
ところで先日最終回を迎えたNHKBSドラマ「仮想儀礼」がもう、めちゃくちゃに良かったのですよ。
X(ツイッタ)でもBlueskyでもbotか?ってくらい書き綴ったので、またその話か!とうんざりする方もいるかもですが、ごめんなさい。ここではちょっと違うことを書くので許してね。
未見の方に超ざっくりあらすじをお伝えすると、都庁勤務の公務員で真面目な正彦(青柳翔)と、元ゲーム会社社員で風来坊的な誠(大東駿介)が色々あって総てを失い食い詰める。2人は「宗教ビジネスで生計を立てよう」と思い立ち、インチキ教団を立ち上げる。篠田節子さんの同名小説が原作(私は未読)。
ダークなピカレスクロマンかと思ったら違ってた。真面目で優秀な公務員だった正彦は、悩みを打ち明けにきた信者候補にしごく真っ当なアドバイスをして行政の方につなげちゃう。誠は「そこは教祖らしくして!」と嘆く。最初はとことん喜劇として始まり、ゲラゲラ笑ってるうちに真顔になる…みたいな展開です。
「何かを信じて暮らす」ことについて考えさせられる質の高い作品なのでぜひNHKオンデマンドで観てみて下さい。
大東さんと青柳さん、2人とも目の光を自在に操る芝居ができてすごいのだ
家族が「いちばんいい」のか?
今回書きたかったのは終盤に登場する「宗教施設に入りびたる娘を取り戻しに来た家族たち」のシーン。ある両親は施設の前に立ちマスコミに向かって娘への思いを切々と訴える。別の両親は脱会カウンセラーぽい人たちと共に信者である娘を拉致し、部屋に閉じ込めて洗脳を解こうとする。
オウム真理教始め、カルトと呼ばれる宗教や自己啓発セミナーが跋扈していた「あの頃」をリアルタイムで体験している世代なら、親が連れ戻し脱会させるという取り組みは記憶にあると思います。
私はオウムの事件の後、カルト関連の本を読みあさった時期があるのですが、その中にも脱会カウンセラーは登場してました。当時の私はそれを読んで「乱暴なやり方かもしれないけど、洗脳が解けたらいつか親に感謝する日が来るはず」と思いました。「取り戻す側」を全面応援してたんですね。
でも「仮想儀礼」で描かれたのは教団の内側からの視点です。両親による人格否定や束縛、家族からの性的虐待から逃れてやっとここに居場所を見つけた人たちが、いわば「加害者そのもの」に連れ戻されそうにる。
彼女たちにとっては血のつながった家族こそが地獄であり、そこに戻ることこそが絶対的不幸なのです。
そのシーンを見て、例えが合ってるかは分からないけど目からウロコが落ちました。私にはその視点が全くなかった。怪しげな新興宗教にハマる人は「異常」。そこから身内を取り戻そうとする人は「正常」。だって家族なら、その人を守ってくれるはずだから。
でも現実はそうイージーには割り切れるものじゃなかった…と気づいたのです。
自分の娘は「傷つけない」のか?
そのあと、クドカンのドラマ「不適切にもほどがある!」のセクハラについての回を観ました。昭和からタイムスリップし令和に来た市郎(阿部サダヲ)は言います。「自分の娘にできないこと、言えないことは人にするな。みんな誰かの娘なんだ。それがセクハラのガイドライン」だと。
これは「昭和の価値観ゴリゴリの主人公がやっとたどり着いた新しい答え」なので、そんな結論でもまあ仕方ない。私も少し前までは「その考えでいればいいのでは」と思ってました。
でもさまざまなニュースを見てると、血の繋がった我が子に性的虐待をして捕まる親って想像以上に多いんですよ。ものすごく愕然とします。
だから実際は「自分の娘=傷つけることなく大切にする」ではなく「自分の娘=自分の所有物なので好きにしていい」と考える人間も結構いるってこと。
自分の娘に対して最悪なことができるなら、他人にはもっとできちゃう。そうなると主人公の提案するガイドラインは成り立たず、根底から崩れます。
何が言いたいかというと「ここからここは絶対に善のエリア、疑いなく万人に共通の安心なエリア」っていうものはないんだなということに今さらながら気づいたってことです。
自分の中でまずその安心安全エリアを疑ってかからないと、当事者にとってはとんだ暴力になってしまう可能性がある。「よかれと思ってひでえことを言ったりやったりする外野」になる可能性ね。そして「自分がまっとうである」という感覚もまた、だーーいぶ怪しいんだなということです。
とはいえ腕組みして「どっちもどっち」とか「簡単には決めつけられないよ」と中立ぽいこと言ってのらりくらり逃れる人間にもあんまりなりたくない。何かずるいから。
結局、狭い範囲だけに安住せず、いろんなものを見聞きし、自分の頭で考えて自分のことばで喋って修正を繰り返してゆくしかないんだな…とつくづく思いました。
ではでは!
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