修復の時期なのだ。【vol.14】
なんと読者さまが100人になりました!本当にありがとうございます!
GW最終日、大学時代の友人がやってるワークショップに参加してきた。前回ニュースレターに書いた飲み会がきっかけでまた色々やりとりするようになったのでね。
彼はダンサー・ミュージカル出演・振付師を経て、いまはボディメンテナンスのクラスをやりながらアルゼンチンタンゴのサークルを主催し、踊っている。
怪我や故障、加齢による不調も多く経験してるので「動かさないと筋肉は『あ、オレ動かなくていいんだ』と学習しちゃってどんどん動かせなくなる。それだけじゃなく血管も硬く縮こまる。血管を伸ばすイメージでストレッチして」(※私の意訳です)という言葉に説得力がある。
これまでずっとショービス界にいた彼が一般のひと向けに身体の動かし方を丁寧に教えている姿は私にとって意外だったけど、これも年をとったことの良き面のひとつかも、と思う。
(今回はスタジオでの特別WSだったけど、クラスはオンラインで週2回、夜に開講中。無理のない動きで呼吸とともにゆっくりストレッチできます。運動不足、身体がやばいとお嘆きの40代以上男女には特におすすめです)
「この先も“いかにもお年寄りっぽい立ち方歩き方”にならないためには動くことを習慣づける必要ありだね」なんて話を茶を飲みながらしみじみした。
この場合の動くは「マメに歩く、走る」とか「自分に合ったメソッドで、身体の各部位をゆっくり丁寧に伸ばす」こと。
例えば私が通っているビーモン(暗闇ボクシング)やダンスのような「動かし」、あれはまた別ものだと思ってる。自分の楽しみや発散のためにやる運動は身体のためではなくそれを楽しく美しく遂行する目的のためなので、偏った無理な動きも多い。かえって特定の筋肉を酷使したり身体を歪めたりもするから、それとは別に毎日のメンテナンスが必要なのだなー。
「何もしなくても何とか健康」から「積極的な運動が大事」の時期を経て、ついに「身体の機能をキープするため、フツーの状態を保つためのメンテナンスが大事」の段階に至ってる感じですね。
もう少し若い時は「今の自分ではダメなので、もっと高みにゆくために何かをやる」「変わるために何か新しいものをどんどん取り入れる」という心意気だった気がする。
でも今日ふと痛烈に思ったのだ。今は「手持ちを修復するフェーズ」なのだ!と。
新しいものや世界にどんどん自分を放り込むのではなく、これまでの人生の中で自分が手にしたものに向き合って、古い靴や家具をコツコツ磨くように、丁寧に手入れしていく時期。
倉庫の奥から出して、ホコリを払って、サビを落として、油をさして、うっかり壊れたりしないように修復する。
あらら、自分には何もないと思ってたけど、ちゃんとここにあったわ。これまだまだ使えるわ。むしろ新鮮だわ。思ったより動けたわ。…そんな日々になるために。
なぜか昔なつかしい人々との邂逅が続き、昔作ったものや書いたものが突然目の前に広げられることが続いたのも、明らかに(私にだけは)意味がある流れなのだろうな。
とりとめもない話ですみません。
ではまたー!
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